top of page

青いスケートボード

  • 執筆者の写真: 鳥 いまお
    鳥 いまお
  • 2013年6月21日
  • 読了時間: 5分

更新日:5月6日

青いスケートボード

 今日は休みで、部屋でうたた寝していたら、妙な夢を見た。

 工場街の運河にかかる大きな橋を僕は歩いて渡っていた。手にはお気に入りの青いスケートボード。デッキテープは黒でデッキの裏にはブルーの背景に大鷲のイラストが大きく描かれている。トラックの調整がうまくいっていて、下手な僕でもうまく乗れる。街のコンクリート舗装路を滑るにはウィールの音がうるさいから、河川敷まで行ってたまに滑っている。しかし、夢の中の僕が向かうのはいつもの河川敷ではないようだ。見たこともない橋を渡りながら「ここはどこだろう」と考えていた。


 見覚えのない工場街は暗くジメジメとした雰囲気に満ちていて、セピアカラーのレイヤーをかけたように見渡す限り黄ばんだ灰色の空気が渦巻いてるようだった。空がとても低かった。


 運河に掛かった橋の上から見える運河沿いの工場街からは機械音が聞こえず、レオス・カラックスが『ポンヌフの恋人』を撮影した時のように、廃墟のような工場の建物群が『ベニヤ板で出来たハリボテの舞台装置』だという事を、夢の中の僕はなぜか”知って”いた。しかし、この街がどこにあるのかは見当もつかなかった。僕は運河に掛かった橋の中間ほどまで歩いていた。


 工場街を抜けて、家に帰ろうとしている途中だったのだと思う。僕はとても急いでいた。いや、『僕たち』はとても急いでいた。その大きな橋の上を、僕は自分の青いスケートボードに乗って渡っていた。辺りを漂う淀んだ雰囲気を切り裂くようなスピードで、僕は力強く地面を蹴り、スケートボードを勢いよくプッシュし続けていた。着古して襟元がよれた紺色のTシャツを着ていた僕は、自分の脇の下から嫌な臭いがしているのを気にしていた。額にもじっとりと脂汗をかいていて、家についたら、すぐに顔と脇の下を洗わなければと思っていた。早くこの黄ばんだ灰色の街から出て、清潔になりたいという気持ちが、スケートボードに乗る僕をさらに焦らせていた。


 僕と一緒に橋を渡っていた人がいたと思う。なぜか顔が見えず男か女かも分からなかった。僕らはナニカから一緒に逃げるための『仲間』のような関係だったような気がする。逃げるためだけ協力し合う関係で、その仲間の個人的なことを僕は何も知らなかったからだ。そういうことも、僕はなぜか夢の中で”知って”いた。仲間は、僕と同じような格好をしていて、くたびれたTシャツにジーンズ姿で小ぶりなリュックを背負っていた。男子学生が背負っていそうな15リットルくらいのタウン仕様のリュックの中には、旅支度の一式が入っていたような気がする。それも、なぜか僕は"知って"いた。


 大きな橋を渡り切ると、橋の両端に高さマンション二階分ほどの大きな円柱型の石柱がたっていた。「ようやく渡り切ったね」と僕が仲間に声を掛けると、音のない声で仲間が僕に「ああ、そのようだね」と返事をした。夢の中では、聞こえるもの音がなく、見えるものの姿がないこともある。僕は、渡りきった橋の袂でスケートボードから降りた。僕らは、ほっとしていた。


 スケートボードを手に抱え、僕らが再び歩き出そうとした時、橋の欄干にとり付けられた高い飾り石柱の後ろから、浅黒い肌をした男が二人飛び出して僕たちの方へ走ってくるのに気がついた。男たちは上半身裸で、布を巻きつけたような衣類で下半身だけを覆い、スキンヘッドに筋肉質な身体をしていた。少林寺拳法の僧侶のように見えたけれど、力愛不二で剛柔一体な精錬さはなく、見るからに強欲で残忍な悪者だった。顔の肉は削げ落ち、頬骨や顎の骨が尖ったように浮き出ていて、それが彼らの邪悪な内面を映す影のように人相となっていた。


 僕の仲間が恐怖で叫んだ時には、男たちはもう目の前まで来ていた。仲間は叫ぶのを止めると同時に、僕に厳しく指示するような口調で「スケートボードを奴らへ渡せ」と叫んだ。僕は恐怖に負け、躊躇することもなく、自分が抱えていた青いスケートボードを男たちの方へと力の限り投げつけた。手を離れた瞬時、自分の身を守る為に大切なスケートボードを悪者にやってしまったと、すぐに激しい後悔が僕を襲っていた。しかし、そうする他に道はなかった。恐怖と後悔が僕の神経を八つ裂きにした。すると、後悔が尾を引く間に工場街が周囲から消え、背後にあった大きな橋も消え、邪悪な男たちも消え、僕の仲間も消えていた。


 工場街や橋があった後方は、ただ、だだっ広くて白い空間が広がっていた。果たしてそれが空間だったのかさへわからない。真っ白い虚無。距離も高さも空気もない、ただの白という感じだった。恐怖と後悔で高ぶったままの動悸を嗜めるように浅い呼吸を繰り返しながら、その虚無を見つめていると、僕の視点は行き場を失った。合わない視点がやがて寄り目になり、頭が空っぽになって、身体に力が入らなくなり、急な睡魔が目の奥に染み込んできた。白い虚無の中で、僕は気絶するように消滅しかけたが、『家に帰る』という目的が、僕をギリギリで現実に引き止めた。丹田に力を入れ息を止め、身体をバネ仕掛けのように引き伸ばして方向転換した、僕は工場街が消え失せた虚無を振り切り、再び家の方角を見た。そこには、また見知らぬ場所が広がっていた。


 僕の眼前に突如広がった新しい場所は、古い住宅街の路地裏で、細くて長い石畳の階段が続いていた。この場所にも僕以外の人の気配はないが、夕陽に照らされたその細長い石階段からは、人々日常が繰り返されてきた時間の厚みを感じさせた。今でなければ、誰かがこの階段を登り、すれ違い、歩いていただろう。その時の僕は、家に着くのはまだ先だということも、"知って"いたと思う。目の前に続く石階段を見ながら、「はやく家に帰りたい」と僕は思っていた。そして、そこで目が覚めた。


 今、確かめたら、僕の青いスケートボードはちゃんと僕のベッドの横に立てかけてあった。青いスケートボードは僕の何かの身代わりになってくれたのだろうか。

bottom of page