不安な夜
- 鳥 今雄
- 2015年6月4日
- 読了時間: 2分
更新日:5 日前

午前中に降った雪の名残をアスファルトの端々に見つけながら、帰り道の夜、とぼとぼ歩きながら考えていた。
もっとこうすればよかったなという心残りがあったり、これで正しかったのだろうかという調べ尽くせない不安。仕事に責任をもつための、終わらない自問自答。わたしのいる世界で『技術』とは、ただひたすらに正確性と効率性で測られる。
何事もスルッとできてしまう人、飲み込みの早い人、おっちょこちょいをしない人。こんな人は、クラスに必ずいたものだ。運動神経が良いのと同じように、彼らは思考神経が良いのだと思う。わたしは大人になった今でも、そういう人たちの素養が羨ましくて、指をくわえて見ている。けれど、もの欲し顔のまま指を咥えて終われないのが大人なのだ。『責任をもてる』ということは『自信がある』ということなのかもしれないし、『自信がある』ということは『実力がある』ということなのかもしれない。そこには、ビッグマウスも謙遜もいらず、ただシンプルに実力がある。もちろん、おごりや過信のようなハリボテではない。ただ、実際に実践的な能力こそが実力だ。
わたしは今日、とりあえず諸々を乗り越えるためにポーカーフェイスになりたいと思った。けれど、きっとそんなこと意志の力では無理なのだろうとも思う。それに、喜怒哀楽が顔に出る性格を矯正したら、それは『わたしらしさ』の血が通わなくなってしまうのかもしれない、などと思う。いや、どうだろうか。
長い一週間を終え、午前中に降った雪の名残をアスファルトの端々に見つけながら、帰路につき、そんなことを考えていた。今はようやくあたたかい布団に潜り込んだのに、今日という一日のぼんやりとした心細さから目が反らせずにいる。