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James Blake

  • 執筆者の写真: 鳥 イマオ
    鳥 イマオ
  • 2011年7月8日
  • 読了時間: 6分

更新日:9月5日

 James Blakeの音楽を、ようやく聴いた。

 雑誌で彼のアートワークを見てから、一体どれくらいの時間がたっただろう。

 早く聴かなくちゃと思っていたのにずいぶんと遅くなってしまった。


 その間、わたしはがむしゃらに労働をし、寒い冬を越えた。衣食住や友人たちからピュアなパワーもらい、それを自分にドーピングして、なんとか春を越えようと思っていた。

 春が来る前には、日本に、とても悲しい出来事も起きた。


 そしてわたしは梅雨が来る前に疲れ果てていた。なんとか倒れないように笑っていたし、それはもう、たくさん笑っていたと思う。しかし結果的に前のめりに倒れ込んでしまった。立ち上がろうと必死にもがいたけれど、倒れ込んだままベッドの中に沈み込んでしまったのだ。泥に足をとられたように、無駄なあがきはわたしの心の体力を奪うだけだった。そしてそのままどんなに力を入れても立ち上がることはできず、笑うことも出来なかった。

 そして仕事を辞めた。

 思い返すと、あれからなんだか長い時間が経ってしまったような気がするが、本当はまだ2ヶ月しか経っていない。



 James Blakeの音楽を一昨日の晩やっと聴いた。

 そして、「もうなんだか完璧にまいっちゃったな」という気分になった。

 世界中の耳の早い音楽ファンが彼の音楽を見つけて徐々にすり寄っていく様子を、わたしは数ヶ月前からなんとなく感じていた。James Blakeの噂が拡がっていく様子は、まるで映画『OZ』(オズ)に登場するケシの花畑が目の前に拡がっていくようだった。どこか彼岸の風景のような彼の音楽に足を踏み入れた人たちは、そこから帰れなくなってしまうのだ。多くの人の琴線を撫でていく音楽をつくる彼には、どんな自覚があるのだろう。今はまだ情報が少な過ぎて、わたしは彼について想像することしか出来ないでいる。


 そもそもどんな音楽家なのだろうか。どこで生まれどこで育ったのかもよく知らない。彼についてもっと調べた方がいいかもしれない、英語の記事をたくさん読んだ方が良いかもしれない。けれどすっかり腰が重くなってしまったここ2ヶ月のわたしには、誰かの人生を調べるということが、ひどく面倒くさいことにしか思えない。だから今はまだ、James Blakeのことを想像するだけにしてしまっている。

 彼の音楽を通して感じるのは、若さや純潔さ、綺麗なものや心地よいもの、愛着への安心感や、忘れたはずだった記憶などだ。ちょっと曖昧すぎるだろうか。いや、そんなことはない。彼はまるで清廉潔白な魔法の世界の妖精のように見える。彼を覆い隠す非現実的なアーティストイメージは周囲の人間によって作られたブランディングイメージなのだろうか。それとも、彼自身が真にそんな雰囲気の人間なのだろうか。彼の処女性の正体はなんだ?


 色々思うことはあるにせよ、彼の音楽はとても素晴らしいと思った。それはJames Blakeの作り出す音楽の核心部に、まぎれもないイノセントが存在していると感じたから、素晴らしいと言い切れる。テクニカルのことはわたしにはよくわからない。そしてジャンル的な住み分けができるほど、こういったエレクトロミュージックの系譜には疎い。

 しかしながら、わたしは今後も彼の音楽にどっぷり浸かってしまうことになるかもしれない。妙な親近感と、妙な親密さと、妙な予感がするのだ。彼の音楽に潜んだ静かな生命力には、曇りの日の朝に見る、微かな空の明るさを思い出す。

 けれど、わたしの知り合いは彼の音楽のことを『死にたくなる音楽』だと表現していた。なぜだろう。わたしにとってみれば、まだまだ希望にみちた音楽に聴こえる。そもそもJames Blakeの音楽に生と死などの概念はあるのだろうか。同時に、『死にたくなる音楽』とか『暗い曲』とかいう表現を使う人たちに対して、わたしはいつもナンセンスだなと感じる。

 例えばJames Blakeの音楽に死という意味づけをしてその重力を計ろうとすることは、実態のない幽霊を捕まえてヘルスメーターで体重を計ろうとしているのと同じくらいまともな発想とは思えない。

 そして、死にたくなる音楽とはなんだろう。この表現は今までもよく聞いてきたが、わたしはその真意が未だにわからないでいる。だって死にたくなる人と幽霊は別のものだ。人は死んでから幽霊になるのであって、死にたくなっている過程ではまだ幽霊ではないのだから。もしかしたら彼らは『魂が抜けてしまいそうな』ということが言いたいのだろうか。それならばわたしにも少しわかる。James Blakeの音楽を聴いていた時、わたしは貧血をおこしたからだ。視界が狭くなっていく間隔と、彼の音楽が醸し出す雰囲気はどことなく似ているような気もする。


 心を揺さぶられ、自分の日常におけるものごとの感触にまで影響を及ぼすような、そんな良い感性を持った音楽に、わたしはこれまで何度か出逢ってきた。けれどそういった音楽家の中にはもうこの世にいない者も多い。例えば、残念ながらラフマニノフは故人である。

 素晴らしい輝きを魅せて死んでいった音楽家たちの人生は、現在ではwikipediaにおさまるくらいコンパクトにまとめられ、楽曲の変遷もグラフを分析するように見てとることができるようになっている。それは素早い知識の吸収のためにはとても便利だろう。しかし一方で、ひどくやりきれない気持ちになることがある。というよりも、退屈なのかもしれない。

 素晴らしい音楽が、まるで味気ない音楽資料の紙ペラやインターネットの電子記号になってしまったような虚しさを感じているのだと思う。

 その反面で、すでに死んでしまった音楽家たちには、予期せぬ方向へわたしの日常を操縦してしまうような危険がないから安心でもある。死んだ人間のことだから、大抵の発言や行動も石碑を見るように落ち着いた気持ちで眺めることができるのだ。過ぎ去った時代に想いを馳せ、かつて輝きを放った彼らの才能に対して感動はするものの、わたしは彼らに対してもう嫉妬しなくても良いことに安堵している。


 そんなくだらない安全圏の線引きだけを頼りに、ここ2ヶ月の自分、いや数年前から弱り始めていたわたしの心は守られているのだろう。ぬるま湯につかって傍観者を気取るのはなんと楽チンで心地良いのだと目を細めてしまう。わたしはもう、表現者のサークルから逃げ出したのだから。わたしはもう何でもない、ただのわたしだ。何も語ることもないし、何もつくりだせることもない。だから偉大な音楽家の前でだって堂々と無関心を装うこともやってのけてしまうのだ。とても簡単な心理だ。偉大な音楽家が死んでいたら、もうプレッシャーを感じることもおべっかをつかうこともないのだ。

 わたしは今はもう自由だ。わたしは今はもう全てやめたのだから。

 後悔してるかって?そんなことを聞いてくれる相手もいないから、その答えもない。


 しかしJames Blakeは生きている音楽家だ。しかもわたしよりも歳下だから、これからもたくさん彼の音楽を生み出すのだろう。

 どうしてこんなにもわたしは、彼の音楽で動揺したり癒されたするのだろうと今夜考えていた。そしておそらくその全体像がわたしにとっての映画に近いんだということが解って、納得した。


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