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暗闇にあるやさしい

  • 執筆者の写真: 鳥 いまお
    鳥 いまお
  • 2011年6月13日
  • 読了時間: 5分

更新日:5月13日

 わたしよりも四学年ほど歳上の、その人の存在を知ったのは二年前だった。

 きっかけは何であったろうか。忘れてしまった。気がつけば存在を知っていた。存在を知ってから今日までの二年間あまり、その人のことがじわりじわりと気になっていき、わたしはどうして気になるのか理由を探ろうとした。

 理由は なかなか見いだせなかった。いや、敢えて見いださなかったのかもしれない。その人は、その時すでに有名になっているおもしろい文章を書く才能あふれる変な人だったけれど、その人への興味にまかせて「気になる理由」を探ることをわたしはしなかった。それは、単に尻込みだったと思う。


 1.あの人について 急いで探らない方がいい

 2.ミーハーめいた好奇心でおわりたくない

 3.わたしに潜む独占欲で窒息してしまうかもしれない


 そう自分をなだめようとして、その人への探求におけるわたしの足の運びは減速し、わたしの探究心は過ぎていく二年間の日常にたびたび埋没した。

 そして六月の今日。近頃また頻繁にその人のことを考えていた折に、わかったことがあった。『気になる理由』の正体がなんとなくわかったような気でいるのだ。

 その人の、ものごとへの感受に共鳴したのかもしれなかった。もしくは日々の小さな幸せに心を潤しながらも、いつもどこか存在意義への不安を抱えているようなその人の筆舌から、目を逸らすことができなかったのかもしれない。

 その人の文章の端々から漂ってくる、真っ暗な闇。自分でそれを恐れながらも、虫たちが甘い花の香りに誘われるように、自ら暗闇にすり寄っていくようなその人の姿を、わたしは今の自分に重ねて見ていたのだとわかったのだ。


 《暗闇はとても恐ろしいけれど、夕暮れよりは哀しくない》


 そんなあの人のビジョンに、わたしも溶け合ってしまったのだ。

 暗闇がもたらす小さな孤独は、自分の存在感を確かめるための、かすかな癒しのように思えることもあった。現実逃避した甘い考えは、自堕落な日々の中ではすぐに解消できるものでもなく、また、本当は解消したいわけでもないような気もする。気がつくと、ボンヤリとこの考えが頭をもたげ、それに身を任せてしまっている。

 暗闇がなくならないなら、うまく付き合っていければいいかもしれない。折にふれて暗闇に挨拶をし、年賀状を出したりお中元にハムを送れば、暗闇ともうまく付き合っていけるかもしれない。たとえば友達と大笑いをした日や、公園でひなたぼっこした日、自転車でぴゅーんと飛ぶように走った日や、忙しく働いている日々の中では、暗闇は、なりを潜める。けれど、本質的に暗闇を呼び寄せ易い体質であれば、完全に手をきることはできないような気がする。


 「誰かに話して どうにかしたいな」

 「このまま一人で暗闇をのぞいていたら 辛抱たまらないや」


 夜の帰り道では、時々そんな気持ちになるけれど、実生活で対面した友人に『わたしの”暗闇ちゃん”のこと、ちょっと聞いてちょうだいよ』などと打ち明けたならば、その友人の幸福な生活に、わたしの悪循環を伝染させてしまうだろう。そしてもちろん、それはしたくはない。同じような 『体質』 の人に出逢った場合はどうだろう。やっぱり、暗闇のことは話題にしたくないような気がする。暗闇はお茶の間のエンターテイメントではないから、ワイワイみんなで共感しあうのは違う気がする。しかも、本当に暗闇を持っている人なら、相手の眼を見ればわかるような気がする。


 《君もなんだね》


 わたしが気になってたまらないあの人は、自らの暗闇を随筆というものに置きかえていたから、実際に眼を見なくても分かった。彼の随筆は、とても繊細で丁寧な文章によって訥々と書かれていた。しかも、高級なゼリー菓子が薄いオブラートにくるまれているように、一見すると彼の暗闇そのものは見えなかった。けれど、時々そのオブラートが物哀しい夕暮れのように輝いて、いちばん奥にある暗闇が透けて見えていた。


 あの人が綴ってきた文章を読む度に、わたしはちょっぴり涙をにじませながら、彼への興味を膨ませてきたのだろう。彼の感受への共感と、正体不明の暗闇を背負いながらわたしの数倍ストイックに歩み続けてきた姿への敬意。そして、なんと言っても嫉妬だ。四学年歳上のその人は、今のわたしの年齢よりもずっと早くに自分自身の暗闇との対話をはじめていたのである。おかしな話しだが、この事実にわたしは嫉妬したのだ。そんなにも早く、こんなにも長く、そんなにも粘り強く、暗闇をじっと見つめながら、ひとり散文を書いてきたのだ。





 わたしは今夜、今日まで自分が通ってきた道を振り返り、考えている。


「あらためてみると、なんだか色々とあったもんだ」


 そこには、訳も分からず我武者らであった、過去の自分に対する赤面をふくんだ愛おしさもあれば、人間関係において傷つくのを恐れ、逃げ出し、一時の心の猶予を確保しようとした姑息な自分自身への残念な気持ちもある。

 そして今夜もまた、わたしは幾人かのひとを傷つけたまま、自分を守って無理矢理眠りにつこうと必死なのだ。眠りにつこうと必死なのだ。


 《一度犯したあやまちは 消えないぜ》


 人を傷つけてしまった自分には、深い烙印が刻まれてしまった。


 《お前はこれからも 同じことをするぜ》


 もう、この傷は消えないとしても、わたしにもまだ、できることはあるのだろうか。

 わたしは恐れている。謝ることで許しを得ようとしている自分の下心が恐ろしいのだ。いつから、こうなってしまったのだろう。人を傷つけてしまったままの自分は、今夜も必死に眠りにつこうとしている。


 「明日こそ言うんだ」


 そのうち、本当に眠気はやってくる。眠りの中に暗転するその瞬間わたしは自分に囁かれる微かな声をまた聞いてしまう。


 《眠ってしまえば こっちのもんさ》


気のせいか?


 《さあ忘れましょう 哀しいことは忘れちゃいましょう》


 暗転ー。

 朝になり、また懺悔する一日がはじまる。





 今夜、気になるあの人の文章を読み返していた。ちょうど今のわたしと同じ年齢に書かれた執筆物だった。

 打ちのめされた。打ちのめされてわたしは前方につんのめり、板の間の床に付いた自分の額をズリズリ擦りながら、心のなかで何度も呟いている。


「やさしくなりたい」

「やさしくなりたい」

「くるしくても、かなしくても、やさしくなりたい」

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