遠い時間の気配
- 鳥 今雄
- 2021年3月15日
- 読了時間: 5分
更新日:5 日前

娘を出産してから、わたしの人生観は変わった。「わたしに残された時間」について考えるようになったのだ。もしかしたら、アラフォーでの第一子妊娠だったことが、そのような考えを持たせたのかもしれない。
娘を授かるまで、わたしの時間は「無限」だった。「今日」できなくても、常に「明日」があったからだ。今日が徹夜でも、明日さへ持ち堪えればそれでどうにかなったし、今日落ち込んでいたら、明日もそのままどこまでも落ち込んでいれば良かった。今日の代わりに明日があって、明日の代わりにまた次の日があったのだ。わたしの「今日」と「明日」は、ただ互いにぴったりとくっついていて、そこには本質的に対した違いも区切りもなかったのだと思う。わたしの一日は、二十四時で日付が変わる日もあれば、三十二時(午前八時)までが今日だった日もあった。「明日」が、常に「今日」を助けてくれていた。明日に寄りかかって生きていたのだと思う。わたしの「今日」を人間に例えると、わりとだらしない人だったと思うし、甘えたがりだったと思うし、言い訳が口をついてくる人だったような気がする。
出産後の一年はコロナ禍による保育機関の安全措置により、わたしは予定外の自宅保育をしていた。2019年の秋に出産し、2020年の春には娘を保育園に預けて仕事を再開する予定だったので、約七ヶ月間ほど、0歳児の娘と四六時中一緒にいる日々が増えたのだ。
実際にどんな日々を過ごしていたかというと、緊急事態宣言が出ていた頃は、まだ新生児期を過ぎた直後だったので、生活必需品のために外出するにも毎回小さな決心が必要だった。わたし自身も、産後うつの症状は尾を引いていて、心身のダメージが癒えきらないまま、社会と切り離された孤立感や仕事復帰を求められるプレッシャーなどで板挟みになっていた。わたしのささやかな暮らしのなかにも現実問題としての課題や不安はあったし、少しずつ酸素が薄くなっていくような息苦しさはあったのだと思う。そんなわたし救ってくれたのが、他でもない産まれたばかりの娘だった。
「子どもは1人では生きていけない」わたしは我が子を育ててみて、初めてその本当の意味を知った。毎分毎秒、死の危険と隣り合わせの0歳児。これは大袈裟な例えではなく、わたしたち大人が暮らす何気ないシーンにも危険は溢れていた。一人では動けず、顔に布が被さっただけで窒息する危険がある。泣くことでしか、体の痛みや違和感、喉の渇きを伝えられる術がない。産まれもった本能はあるが、母乳や粉ミルクが飲めない日もあるし、母親の母乳が出ない日だってある。けれど米や肉や野菜を食べることはできない。母乳を飲み、母乳に類するものである粉ミルクを飲むことで生きるための栄養分を摂取するしかないのだ。泣くことで気持ちや生理的欲求を周囲に伝えようとするが、泣くほどに体力は奪われ、時にはそれで力尽きてしまうこともある。人間は寝ることで健康を維持し体内サイクルを整えるが、0歳児、特に初期は満足に眠れるような体力もなく、二時間おきに起きてしまう。おまけに視力もまだ弱く、ぼんやりとしか世界を見られないし、色もよく分からない。体温調節も未熟だ。彼らはただ、母や父の声や温もりだけを頼りに、心細くも危ういこの世界で生きようとしているのだ。
わたしは一年間を通して、彼女が必死に毎日を生き抜こうとしている姿に、ずっと心を震わせていたと思う。何度泣いたかわからないほど、彼女を抱きながら、あやしながら、寝かしつけながら、わたしは泣いていた。産後の辛い涙だった日もあれば、コロナ禍に産まれた我が子の巡り合わせを不憫に思って泣いた日もあったのかもしれない。けれど、ほとんどの場合、ただ娘が愛しくて、可愛くて、好きだと思う気持ちで泣いていたと思う。
「命というものは、こんなにも尊いのか」
「こんなに愛くるしい存在がいるなんて知らなかった」
娘との暮らしが始まり、自分に残されている「時間」について考えるようになった。「今日」の代わりの「明日」はなくなり、今日も明日も「人生でたった一度しかこない今日」に変わった。娘を見ていて気がついたのだ。0歳を生きる彼女には、昨日や今日や明日の概念がないから、ただこの瞬間だけを生きていた。「生きるために生きている」という感じがした。愛は実体がないもの、そう思っていたけれど「赤ちゃん」というのは、限りなく愛そのものなのだと感じていた1年間だった。わたしが産まれてきたことの本当の理由も、なんだか知ってしまったような不思議な気もした。
産後間もない頃、自宅のリビングで過ごしていた昼下がりに、わたしの腕の中でスースー眠る娘を見つめながら、よくこんなことを考えていた。
「あなたは、だあれ?」「本当は、どこからきたの?」
「どうして、わたしのこと知ってるの?」
彼女と出逢って、わたしは変わった。文字通り母となったのは、彼女を産んだからなのだが、彼女との「出逢い」が、わたしという人間を根本から変えた気がしたのだ。一日の終わりや、娘の赤ちゃん期の終わり、娘との暮らしの終わりを考えるようになった。
わたしの生涯がいつ終わるのか、それは誰にも分からないことだけど、まだ死んでもいないのに、既に悔やまれることが一つだけある。わたしがどんなに健康に配慮しても、長生きを心がけても、年老いてすっかりお婆ちゃん姿になった娘にだけは絶対に会えないのだ。遠い時間の向こうは、目を凝らしても見えないけれど、別れの気配は、わたしたちの日常をふとした時によぎっていく。
別れの気配は夕闇迫る時間の物悲しい空と、どこか似ているから、赤ちゃんは黄昏時に泣くのかもしれない。いつかくる親との別れを惜しむように。