シェイクスピア・イン・ザ・パーク
- 鳥 今雄
- 2013年11月12日
- 読了時間: 9分
更新日:5 日前

埃臭い空気の充満した地下鉄アスタープレイス駅の階段を昇ると、イーストヴィレッジの大通りはすでにビジネスマンで忙しない時間を迎えていた。ニューヨーク郊外のクイーンズから地下鉄に乗って中心部までやって来た2007年の夏、僕は二十二歳でマンハッタンにいた。
地上に出た瞬間、街の喧騒と匂いで僕は覚醒したような気分だった。行き交う人々はいずれもスターバックスのグランデコーヒーを持ち、互いにぶつかることなく、一人もタイミングを狂わせずに、人の流れに身をまかせるように優雅だった。長い年月をかけて完成されたバレエ作品の群衆シーンを見ているような壮大な通勤ラッシュは僕の眠気を一気に覚ました。
その日、僕はマンハッタンのイーストヴィレッジ地区にあるパブリックシアターの整理券カウンターの前に座り込んでいた。クイーンズの下宿先で親しくなった日本人から無料観覧できる演劇イベントに行こうと誘われていたのだ。それがシェイクスピア・イン・ザ・パークだった。
ニューヨーク夏の風物詩としてセントラルパークで野外公演される演劇だという。アメリカ発の非営利劇場として1960年頃から運営されているパブリックシアターの歴史的な建造物の周りをぐるりと取り囲むように、熱心な演劇ファンたちが無料観劇するための整理券の配布開始の時刻を待っている長蛇の列は圧巻だった。一見すると異様ともいえる早朝の風景だったが、立ったまま待っている人が一人もいないのも印象的だった。もしかしたら前日の夜から泊まり込んでいる人もいたのだろうか。都会のど真ん中だと言うのに、キャンプ用チェアに座って優雅にコーヒーを飲み寛いでいる年配女性がいたり、使い古した自分のバックパックの上に座っている学生らしき青年や、家から持ち出したようなマットレスの上に寝そべっている大胆な若い男女もいた。日本ではごく限られた人たちの娯楽である演劇は、ニューヨークに住む人々の暮らしには根ざしているようでなんだかかっこ良かった。だから僕たちもあの日の朝、地元の人々に混ざるようにコンクリートの歩道に車座で座り込み、読めるはずもないからせめてお土産にと買ったNew York Timesを尻の下に敷いて、何時間も他愛もないおしゃべりに興じながら整理券の配布を待っていた。
あの時一緒にいた友人たちとは、いったい何の話しをしていたんだろう。どうしても思い出せないでいる。一人はすでに日本で活躍中の舞台の演出家でブロードウェイを吸収しにきている年上の既婚男性だった。もう一人はロウアー・マンハッタンの日本食居酒屋でアルバイトをしながらニューヨークで活動している僕よりひとまわり歳上の舞台役者だった。彼には離婚したアメリカ人の元妻がいるが、ニューヨークの賃貸事情は夢追人には手厳しいため、いまだに同居していた。演出家と舞台役者の彼らは元から面識があり、共に芝居を上演したこともあるらしいと聞いた。そして最後の一人は、その時の僕と同じように日本から短期でニューヨークに来た少し歳上の青年だった。背が高く、しなやかな体躯が美しい彼は、日本の芸能プロダクションに所属して俳優をしている眉目秀麗な人だった。最近では日本映画やドラマ、CMなどでもたまに観ることができるようになっている。彼はニューヨーク滞在中の僕のルームメイトでもあったが、残念ながら彼とは連絡を取り合うような仲にはならなかったので、2007年のニューヨークで出逢って以来、僕は彼のことを影ながら応援しているだけの関係だ。
朝のニューヨーク市内はスターバックスコーヒーを片手に、足早に会社に通勤するスーツの人々ばかりだった。けれど僕ら四人は、ビジネスマンと同じスターバックスコーヒーを飲みながら、擦り切れたジーンズ姿で、シェイクスピアの為に、街のコンクリート歩道に座っておしゃべりに興じていた。僕はあの時、学生時代が終わりを迎えようとしていたのに、仕事も決まっていなかったし、帰国したら財布の中には一万円札が一枚残る程度の綱渡りだった。もちろん、恋人もいなかった。
けれど、あの朝はとても自由だったと思う。あれこそが、僕が知っているなかで、いちばん純度の高い自由だったのだと思う。
その夜、僕はシェイクスピア劇を初めて観た。
セントラルパークにある野外演劇場で日暮れ頃に始まった芝居は、物語が進むうちに橙色の夕焼け空から水彩絵の具の紺色を水で解いたような濃淡のある夜の空に変わっていった。室内の演劇と違って、野外の劇場では日が暮れ、風が吹く。昼の明るい太陽や、日没の物悲しい夕陽、そして夕陽を飲み込んでいくような夜の到来というように、自然そのものが演劇を演出する舞台装置のようだった。夜明けや日没のマジックアワーを撮影した映画は数多く観てきたが、目の前で移ろいゆく幻想的な空に勝るはずもなく、時間の経過をここまで印象的に演出した芸術作品に僕は出逢ったことがなかったと、その時に気がついた。もしかしたら、これを書いている今でも、あの体験を超えるものはないかもしれない。自然によってつくりだされる舞台演出はとても壮大で、役者たちの芝居と呼吸を合わせるかのように、ふとした時に客席に風が吹き、セントラルパークに生きる鳥や虫たちの鳴き声が遠い中世の時代を語るシェイクスピア劇に臨場感をもたらしていた。
野外演劇上の遠い背景には、ライトが灯ったニューヨーク中心部の近代的な高層ビルが見えていた。僕たち観客の目の前では、中世のロマンス悲劇が素晴らしい役者達の名演によって悲喜交々として演じられているのに、その舞台の背景には現代のニューヨークの都会があった。目の前にある中世と背景にある現代という不思議なギャップは相容れないはずなのに、なぜか演劇をチープな『つくりもの』のように見せることはなかった。観劇体験がくれる最大の感動がそこにあると思う。目の前で繰り広げられる演劇は真実ではない。演劇は役者たちが舞台の上で作り出す、いわば虚構の世界だ。けれど僕たち観客は、その虚構の世界に夢をみて魅了され、その世界の住人達の声があたかも肉声であるかのように真剣に耳を傾けていた。演劇でしか体験できない魔法は、二度と同じ芝居は観られないというライブ感が生み出していると思う。
一緒にいた歳上の演出家が話してくれたことで、今なお覚えているのは「演劇は観にきているお客さんの熱気みたいなものもあって作品が完成する」という話だ。僕なりに解釈したが、生きた人間に役が憑依してしまったと恐れるほどの役者の集中力や執着が、演劇作品の登場人物の魂として舞台上に迸り、それを受け留めるように芝居の物語を読むのは観客のイマジネーションが必要ということなのかと解釈している。僕は幼少期から映画が好きだったが、社会に出て大人の仲間入りをする前のニューヨークで、演劇の見方を教えてもらったことで、映画と演劇の違いや、演出・芝居・台詞みたいな共通点についても考えを巡らせる時間が多くなっていた。だからその晩の観劇でも、まだまだ僕が知らないといけないことがあるという興奮をぎゅっと身体の中に押し込めていた。
僕がそんな物想いに耽っていた時、隣の席に座っていた俳優の青年と一瞬目があった。僕らは観劇体験の素晴らしさに目を輝かせながら、互いの目の奥を探るように微笑んだ。
中世と現代、ロミオとジュリエット、ニューヨークとセントラルパーク、芸術と人間の想像力。僕は初めて体験したシェイクスピア劇と、ロミオとジュリエットの悲劇に心を打たれながら、身体中がしびれてしまったような気分だった。あの日、あの時、あの場所でしか観劇できない芝居の臨場感が、ひと夏のニューヨーク旅の感動を何倍にも膨らませてくれたのだと思う。長い年月を経ても尚、世界中の人々の心を打ち、演出家や役者たちの挑戦心を駆り立てるシェイクスピアの物語の偉大さも痛感していた。そしてあまりの感動で、感情の整理がつかなないまま、幕は下りた。そのエンディングの瞬間も、僕はただぼんやり野外演劇場を包む喝采と、その背景に見えるマンハッタンのネオンサインを見ていた気がする。
今日は休みだったので、部屋の模様替えや掃除をすることにした。数ヶ月または数年に及ぶ長考の末、僕は今の仕事を辞めるつもりでいる。だから最近は通常業務と仕事の引き継ぎに終われ、自分の住まいに目を向けることが出来ないままでいた。ようやく手をつけられた束の間の休日、模様替えの最中に2007年の夏をニューヨークで過ごした頃の思い出の品々が出てきたことで、僕は回想に浸っていた。
レストランのショップカードやブロードウェイのPLAYBILLをめくりながら、僕は昔の冒険を懐かしんでいた。そして思い出の品々の中から、芝居のチケットが一枚ひらりと落ちてきた。それが、こうして思い出を書き留めた演劇『シェイクスピア・イン・ザ・パーク/ロミオとジュリエット』のチケットだった。 あれから十年が過ぎた。今の僕は、あの頃の僕とは別人になってしまったように感じる。
日々の生活にはしがらみも多い。けれどそれなりにお金も稼げるようになっていて、一人で暮らすのを終わりにして、親しい友人たちとしばらく一緒に住んでみることも決めた。友人たちは、これが結婚する出逢いの前にできる最後の悪あがきだと言っていた。
僕はどうかと言うと、きっと彼らがまだ見ぬ妻を迎える頃には、また一人で暮らす部屋を探すのだろうと思う。それは哀しいことではないはずだ。僕はそういう静けさに慣れているから。僕の心の声を誰かに話したい時もあるけれど、本当に大切で誰かとわかり合いたいことを言葉にした瞬間に、その言葉は温度を失ってしまう気がするから、僕が僕であるために不自由にならないように口を噤む。
日々はそれなりに充実しているし、あの夏のニューヨークで一つ大人になった僕は、今では三十三歳になっている。僕がこれまでニューヨークを訪れたのは二回だ。初めて訪れたのは2005年、そしてあの夏の2007年。感性を震わせてくれたニューヨークは、今でもずっと僕の憧れの街でもある。
あの夏、確かに僕は自由だった。そして、あの芝居の中では、ロミオとジュリエットが互いを愛することへの自由を求めて戦い続けていた。僕は今日、部屋の片付けをしながら、ジュリエットの台詞を書き留めた当時の手帳を見つけた。
Parting is such sweet sorrow, That I shall say good night till it be morrow.
おやすみ、おやすみ!別れがこんなに甘く切ないなら、朝になるまでおやすみを言い続けていたい。
シェイクスピア・イン・ザ・パークの夜に、僕の隣でおやすみを言った青年とはあれから会っていない。僕がもう一度、あの夏の自由に触れる日はくるのだろうか。
巻末資料
シェイクスピア全集 (2) ロミオとジュリエット(ちくま文庫)W. シェイクスピア (著), William Shakespeare (原名), 松岡 和子 (翻訳)より本文抜粋及び改行編集