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三兄弟の妹

更新日:4 日前

自室からの景色

 私は眠りが浅く、幼い頃からよく夢をみる。そして印象的な夢を見た時のみ、寝ぼけたままのベッドの中でiPhoneにタイプしてメモを残すようにしている。


 夢とは何か。それは、眠った時に見るものだ。睡眠中に人間の脳内で繰り広げられる、あたかも現実のように感じられる一連の観念や心像のことを指すらしい。睡眠中、脳は過去の記憶やその日の出来事を処理して、時に整理され時に散乱するように現れ、それらが物語のように映像化したものが『夢』と言われているようだ。


 夢の記録を始めた理由は簡単で、ただ夢の出来事を忘れたくなかっただけだ。夢は記憶よりも体験が薄く、夢の中で時に五感が働いている感覚に陥るがそれすら夢の中のリアルであり、本来はリアルではない。脳内の映像なので、夢の中の出来事は起きた時に忘れ易いが、記憶よりも信じられるような解釈や現実よりも大切にしたいメッセージがあることも。 夢は私にとって単なる不思議な感覚というよりも、『岐路での方位磁針』であり『潜在意識が具現化された証拠』であり『神託』のようなものなのだ。そして、以下は数日前のメモ書きを頼りに、夢で見たうろ覚えの出来事を時系列に沿って再構成したテキストだ。





 状況のはじまりは突然の雪山だった。私は防寒着を着て、その場に立ち尽くしていた。まるで永い眠りから覚醒したような気分で、唐突に意識が始まった事に呆然としていたのだと思う。視界の中で雪山は吹雪いていて、それを目で確認する事はできた。しかし、私は寒さをまったく感じず吹雪の音も聞こえなかった。夢の中とは概ねそんなものだろう。声が聞こえたり自分が話しているような気がしていても、夢の世界にある音はいわゆる音波ではなく脳に届くテレパシーのようなのだ。少なくとも私が眠った時に見る夢は大抵そうだ。私の夢にはまず、現実世界から限りなく色味を抜いたような無彩色に近いヴィジュアルがあって、音はなく、テレパシーだけで意思の疎通が図られているような感覚がある。目の前(または姿が見えない者から)から声は聞こえないのに、言葉だけは脳に聴こえてくるような、けれど夢の渦中にいる時は私を含めた登場人物の誰しもが『その事』に気がついていないような、とかくそうした矛盾に違和感を持たない住人が生きる世界なのだ。


 もしかしたら記憶喪失になってしまった人はあのような気分なのだろうか。突然のシーンの始まりは、覚醒と怯えが混ざった混乱に襲われる。何も覚えていないという無機質な自覚を理解するのにも時間がかかる。それは緊張が襲ってくる時の感覚に似ている。じわりじわりと緊張が浸透してくるのではなく、突然何かがきっかけとなって心音がドクン!と体内で轟くような感覚なのだ。そして息が詰まりそうになり、自分は普段どのように呼吸をおこなっていたのだろうと当たり前の人間活動のやり方に思考を巡らせるのだ。


 私は夢の中で呼吸を探るように記憶を探っていた。過去に関する記憶がすっかり欠如している心細さは、まるで身体がハムのように縦にスライスされ、背中側の半身が切り取られたまま消滅してしまったようだった。頭から耳の後ろを通り首へ、そして脇の下から腹、骨盤の横を通り、太ももと膝とくるぶし、そして最後に爪先まで。記憶がない事は肉体的な心もとなさを煽り、夢の中にいる私を混乱させていった。


 ただ広く、白いだけの雪山の斜面に立ち尽くし、自分が置かれている状況を理解しようと過去を探る思考に集中していた私は、足元の雪を凝視していた。そして朧げな状況理解を後押しするように、足元に向けられていた視線を徐々に上げ遠くの山々の風景に目をやった。とりあえずこの世界は映画セットではないらしく、山は本当にそこにあるようだった。


 理解は突然にやってきた。まるで自分の裸の脳みそに記憶の水滴がポタリと一滴落ちて染み込んでいくように、その雪山がどこなのか夢の中の私は思い出したのだ。

 そこはかつてBeastie BoysのMCAがスノーボードを楽しんだ山だった。いや、むしろその瞬間には夢の中の私は”その事実を知っていた”という方が正しいだろうか。そして夢の中の話しなので、MCAが実際に名スノーボーダーだったという事以外の情報は創作だ。架空の山とMCAの間におそらく関係性はなく、私の夢の中で記憶の断片がコラージュされ、さも事実のように構成されたのだろう。気がつくと雪山は広いスキー場になっていて、突然私の右手に大きなリフトが出現した。それは見るからに老朽化しており、人気もなく、錆び付いた動きのままなんとか稼働しているように見えた。すると突然、リフトを見上げていた私周りに気配がして頭の中で誰かの声がした。誰の声だったのかは未だに思い出せずにいる。けれどその声が言うには、私の父がそのスキー場のリフトを立てた建設現場の監督だったらしい。敬愛するMCAという伝説のアーティストと、自分の父との繫がりが突如浮き彫りになり、私は感動していたと思う、もちろん夢の中で。そうした感慨にひとしきり耽っていると、再び私の周囲に実在感のない亡霊のような気配がした。その妙な違和感を感じた瞬間、自分の手の平に何かを持っている感触に気がついた。視線を手元に下ろすと、私の手には一枚の写真が握られていてそれはモノクロ写真だった。ヘルメットを頭にかぶり現場の建設作業着を着て、直立真顔のまま写真に映っている父がこちらを見ていた。それはリフトを建設している当時の記録写真のようだった。その写真を見た事を最後に目の前が暗転し、私の意識は再び途切れた。





 気がつくと私は自分の部屋のベッドに寝そべっていた。夢から覚めたのだ。

 掛け布団をしていなかったので窓際のベッドの上で身体が冷え、先ずはじめに寒いと感じた。陽はすでに沈みはじめていて、午後と夕暮れの間にある物悲しい時刻のようだった。 隣りにはベッドにもたれ掛かった姉が眉間にシワを寄せながらスマートフォンをいじっていた。私は姉に聞いた。 

 「お父さんって、昔スキー場で働いてたかな」 

しかし姉は画面から顔を上げる事なく、私の質問にも答えなかった。もしかしたら起きたばかりの自分の声が小さかったのかもしれないと私は思った。そしてあれは夢の話だったのだと理解しようとしたが、私の憧れのヒーローであるMCAと自分の家族との繋がりが空想のまま終わったので落胆を隠せず、今度はベッドの中に潜り込み、ふて寝を始めた。

 私は横たわったベッドから窓の外を見て夢の事を考えていた。そして、今さっきまで見ていたその夢の世界ではBeastie Boysのグループメンバーが3兄弟で血縁関係にあるという裏設定になっていた事を思い出した。現実世界で活躍するHIPHOPレガシーである彼らはお互いにブラザーと呼び合う幼なじみだったが、夢の中では本当の血縁兄弟になってしまっていた。さらに、私は彼らに可愛がられている末っ子の妹という強引な設定もなぜか存在していた。つまり冷静に考えると、私の兄はMCAで、私の父にとっての息子はMCAという事になる。ちなみにMCA事アダム・ヤウクはニューヨークのブルックリン出身のユダヤ人だ。私と父は日本人だ。色々と都合の良い設定だが、やはりこれもグルーピー的なファン心理なので仕方がない。なによりも、全部が夢の世界の話だったとしてもBeastie Boysと家族だったなんて幸せだったなと、しんみりした。





 という所で、本当の現実の方へと目覚めた。先ほどの目覚めは、まだ夢の中にいたらしい。


 目覚めた私は一度目と同じようにやはり自室にいたが、今度の場合、姉は私の部屋にいなかったし、私はベッドに横たわって眠りから覚めたばかりの姿勢だった。私はその日、自分の夢の中で生きる自分としてさらにもう一つの夢を見ていたのだった。


 MCAが今年の五月に死んでから、もうすぐ四ヶ月が経つ。 その日から度々見てきた夢に比べると、今朝の夢はいつもより悲しくなかった。だから、もうヒーローがいないことだけに目を向けずに、彼が残した名曲を聴こうと思った。





その日のスマートフォンにあったメモ


MCA

雪山

スキー場

お父さんが作業しきりした現場

モノクロ写真

アルバム写真

証拠

エリアがちがうから大変だったけど

やったよ。

ゆめのなかで起きた

お姉ちゃんにきくねゃ

あれはほんとうかわ?

それとも夢か?

それ 夢

ゆめだたったけど、

ぃーじゃないか

可愛がられた私

ビbeastiesも兄弟設定


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