Notes 1,2,3
- 鳥 今雄
- 2011年9月2日
- 読了時間: 2分
Notes 1.
「酒も煙草もコーヒーもやらない奴はどうも信用できない」
昔、年上のインテリが言っていた言葉が、突然意識の中空に躍り出て、思わずキャッチした。
人間の欲に直結した『だらしなさ』という要素を、ある種の象徴に置き換えたとしたら、例えばそれは酒、煙草、コーヒーなのかもしれない。それ以外にもチョコレート、マスターベーション、二度寝でもいいし、深夜のネットショッピングでもいい。人によってなんでも当てはまるのだが、それらの『象徴』をやらない人、もしくは絶対に我慢できる人なんか存在するのだろうか?「やらない」と嘘をついて自分を良く見せようとする人ではなくて、真剣に禁欲的である人なんか本当にいるのだろうか?そんな人はきっといない。
Notes 2.
『道徳的にそれが正しい』 を選んで行動・発言を繰り返す人は、とても不自然だ。
コミュニケ―ションにおいて不器用ならば、それはそれで苦労も多かろうが、嘘で道徳人を演じたり、正当性をちらつかせる不憫な弱者を演じて周囲に味方をつくる必要もない。(本当は賢いからできる)
虚勢、知ったかぶり、媚、建前、妥当な意見、味方がいればいいや、エトセトラ。『正直でいる』ということは、実はそんなに辛くはないんじゃないだろうか?と思ったりする。正直な意見はなんだか笑えるくらいフレッシュな鮮度があるから、そうした発言をする時はいつも おもちゃ箱をひっくり返すようなカラフルな衝撃がその場に走る。それは時に楽しみでさへある。
『カジュアルに正直でいる』ことは大切だろう。そうしていて、敵をつくったりすることはないと思う。カジュアルだからだ。意見することで誰かとぶつかることを怯えるのはナンセンスだ。嘘っぽい人間というのは歪んで見えるし、そういう人の独善的な人間臭さは、場合によっては暴力的ですらあると思う。
人生は、想像以上に短い。わたしなんか、もうあと50年くらいしか命がない。やりたいことも、やるべきことも、迷ってないで全部やるしかない。自分の中の善悪の尺度は、時に非常識の極みかもしれないけれど、考え抜いた末それしか選べない時は確かにやってきてしまう。
Notes 3.
はやく、台風すぎろ。
怪我人でませんように。
台風すぎたら、また走りにいける。
ランニングすると、風を感じる。
風はふいているときは当たり前すぎて、意識しないから。
ランニングすると、風にぶつかっていける。
それで、風を感じる。
風しか、透明な色のものはない。