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雨降る夜の旅する魂

  • 執筆者の写真: 鳥 いまお
    鳥 いまお
  • 2010年3月24日
  • 読了時間: 11分

更新日:5月6日


雨降る夜の旅する魂

 春になったと思えば、また冷たい雨だ。

 そうこうしてるうちに、桜が咲くのだろう。

 気がつけば三月も終わってしまう。一年の四分の一が終わってしまう。

 日々の物事はダラダラとし、一向に進んでいない。僕は昔からこんな自堕落な呑気者だったろうか。ぼんやり、そんな事を思う。このペースで日々を過ごしていたら瞬く間に五十歳になり、あれよという間に還暦をまわり、気がつけばすっかり髪も薄く皮膚と言う皮膚が垂れ下がった婆さんになってしまう。そして骨になり、父や母と同じ墓に合流する。そんな僕の晩年を共に歩んでくれる人は在るのだろうか。骨を抱えて泣いてくれる人や献杯し思い出を語り笑ってくれる人はいるのだろうか。ぼんやりとはじめてしまったそんな考えのせいで、眠れなくなってしまった。

 そして、二十二歳の時、制作をはじめた自主制作の映画が完成しないまま今年で三年が経つ。映画をつくるという事は、情熱と集中と忍耐と熟考とが、よほどいるのだなと馬鹿みたいな発見をしたのは一体いつだったろうか。自分が紡ごうとした物語は何を語ろうとしているのか、それに一寸の雑念が混ざってしまったが最後、手が止まり、頭を抱え、未熟さに自暴自棄になり、物語の語り口がわからない、そんな日々が訪れるのは間もなくだった。

 十五歳の頃の話しをしよう。あの頃の僕は家と学校の往復の日々だった。仲の良い友達とくだらないおしゃべりに興じ、ろくに勉強もせず、部活の朝練など無くなれと祈る、そんな毎日だった。毎日のように身体を動かし、汗をかき、制服姿で、涙を流すほど笑い転げ、教師に妙なあだ名を付ける事を好みで、好きな先輩を見て胸を高鳴らせる、そんな楽しい事がたくさんあった。けれど、その多くは体裁の為だったかもしれないと、今になって振り返る。『高校時代をとびきり謳歌している自分』という偶像で自分自身の外面を隙間なく覆い、自らを守っていたのだ。そのせいだろうか、当時の友人で今も会っている者は誰もいない。友人ですら『とびきり謳歌』するための自分を護るために生やした羽毛だったのかもしれない。

 あの頃、どちらかと言うと僕の内面は梅雨が多かったと思う。いつもどこかジメジメとした焦りを感じていたのだ。むしろ、怯えに近かったかもしれない。いつか僕の前に、周囲の同世代に流されない凛々しさをもつ『誰か』が突然現れ、僕という道化的な孔雀の羽を毟り取りながらこう言うのだ。

 「お前はみんなの注目を集める事で、人と自分は違うんだって言いたいようだけど、俺はお前の本当の姿を知ってるぜ、お前は本当はただの烏だ。闇に飲み込まれちまえ」

 よほど地に足ついた人でなければ、集団の中での比較にまみれた思春期時代はそんな自問自答の繰り返しだろう。自己顕示欲は自分表現と自己存在を高める能力を鍛える側面もあるかもしれないが、他者との関わりの軸が常に自分自身にあり、他者を認め他者を慈しみ謙虚であれば意という側面もある。それが思春期であるならば、その姿は一層に哀しく痛ましく空虚だ。

 僕はあの頃、人と自分を比較する事の無意味さや、偽りの自分自身を脱ぎ捨てる勇気、家族がくれる優しさや、その優しさの大きさに気がついていなかった。いや、もしかしたら、多少は気づきはじめていたのかもしれないが、日々の雑多な出来事に押し流されて、本当に大切な事はすぐに過ぎ去り忘れていくようだった。そして、息つく暇もなく毎日を笑って過ごし、その反面で正体不明の焦りにつきまとわれ続けていたのだ。

 そしてある時、僕は日記を書く事をはじめた。ただ、ぼんやりとしたまま特定できない自分自身の不可解な感情に言葉を当てがう事で、自分の十代の日々を整理し、記録し、理解しようとしたのだと思う。僕は自分の心の内に言葉を当てがって、僕と僕の中を旅する事を始めた。ほとんどは独白のようなものを書いていたが、時には日々の不可解な感情を架空の物語に置き換えたりする事もあった。

 「この先、僕が歳をとった時、十代を振り返る為に当時の日記を読み返すかもしれない。過去を振り返る時は、たいてい寂しい時や不安な時や、帰路に立たされている時だろうから、未来の自分に手を貸してやろう」僕はそう、思ったのである。

 書きはじめて数ヶ月が経つと、独白でも物語でも、『うまく書けるようにしたい』と思うようになった。そして読みやすい文章をうまく書くためには、感情や思考だけではなく、五感を刺激するような情景や匂いの表現があった方が、文章を読みながら想像しやすいのだと気がついた。全体の流れや構成を気にしたり、視点も変える事もあった。自分の日常や思考を、『自分ではない他の誰か』が語っているように書いてみたりもした。

 何よりも楽しかったのは、書いた翌日にそれを読み返した時だった。朝起きて、学校に行って授業を受けて部活をした後に日記帳を開くと、すでに忘れていた『昨日の気持ち』が、一つの物語のように思い出せたり想像できた。それは、僕を高揚させた。自分という、たった一人の読者を楽しませるための努力だが、読みごたえのあるものが書けるようになっていくのが、とても面白かったのだ。

 それからと言うもの感情が動く時はいつも、あとで詳細を描写できるように、その時の情景にある色彩や匂いをじっくりと見つめて、覚え書きとして記憶するようになった。

 『学校の帰り道/夕暮れの中/友人と下校/気まずい/なぜか?/痛々しさと甘さ/オレンジ色/まぶしい/どうでもいい会話/きっと本題は別にあったはず/お互いに/商店街通り/人はまばら/コンビニの自動ドアのチャイム/おでんの良い香り/襟足を短く切りすぎた/寒いのは首根っこが出ているから/本当にそれだけ?』それを、家に帰ってから文章として書いてみる。十五歳から十七歳までの高校時代、日記を書き続ける日々の中、僕はそんな作業を繰り返していた。

 十六歳になる頃、僕はこんな事を考えていた。

 「日記を書いている、それを自分で読んでいる。その時、頭の中で印象的なヴィジョンを僕は思い描いている。けれど、そのヴィジョン《それ自体》を言葉で形容にしたら一体何なのだろう?」

 そして、それが僕にとっては『映画』だった。この『映画』という言葉を自分の中に取り込んでみたら、なんだかしっくりきたのだ。

 そして十七歳、映画を以前よりもたくさん観るようになった。高校卒業後には映像の学校に通い映像と映画について勉強する事になるのだが、こうして振り返ってみると、日記から始まった僕の自己理解の行動の途中で映画を選んだ事は、僕にとってすごく自然な流れだったように思う。日記は人に読ませる価値がなさそうだけど、映画にしたら人が観てくれるかもしれないと僕は考えた。映画を観る事で僕は作品が語る心象と繋がってきたから僕もそれがしたかったのだと思う。または、末っ子の弟で生まれた僕は常にどこかで甘えたで、人恋しく、誰かの感情と繋がりたいと願っていたからか。


 これを書いている二十五歳の今日まで、それなりに色々な事があった。それでも僕は十六歳の頃からずっと『映画の事』を考えてきた。だから、初めてつくろうとした映画は、今まで過ごしてきた日々でみつけたヴィジョンの結集なのだろうと思う。だからクランクインした三年前のあの頃、二十二歳、ようやく自分の一本目の映画がつくれる事に興奮し、想像と創造が目一杯につまった全速力の日々をおくっていた。

 《今はどうだろう》僕は恐ろしい。

 映画の完成のために考えなくてはならない諸々の事柄を真っ直ぐ見据えるのが、恐ろしくなっている。三年前、いや十代のあの頃に持っていた勇気はどこにいってしまったのだろう。

 《怖い、怖いのだ。とても怖いのだ》僕は灯りのない薄暗い迷路に迷い込んでいる。

 物語を構成する事を思考する度に、自分の非力さに緊張し、手足は冷え頬は火照り、冷や汗がたれる。映画を制作しはじめた当時、僕はきっと自信があったのだと思う。完成しないかもしれない、なんて考えも及ばなかったのだ。ただ、できると信じて疑わなかった。

 では、今はどうか?映画を完成させるために考えなくてはならない諸々の事柄や、映像編集に根気強く取り組む事が恐ろしく、今の僕は思考をフリーズさせている。生産性のある作業を何もせず、日々の余白の中に、多種多様な『雑音』を埋め込んでいるのだ。テレビをただぼうっと見ていたり、ベッドの中に沈んでしまったように何十時間もずっと惰眠をむさぼったりしている。日々の生活に関する物事もどうでもよくなり、生活は荒れ、暴飲暴食をし、昼と夜の生活は逆転し、無力さに打ち拉がれながら夜にフラフラ出歩き、自己破壊気味なナルシストを演じている。つまり、魂が腐りはじめているのだ。そうして、ただ、時間が過ぎるのを待っている。『何か』を待っているのではないと思う。映画と物語に関して思考を止めている自分自身の姿に気がつかない振りをして、僕は僕に対して他人の振りをしているのだ。自主映画に関わってくれた、たくさんの友人・知人たちへの感謝と、それを優に超えるだけの申し訳なさから隠れるように。

 《これは、逃げなのだ》それは、わかっている。

 けれど『雑音』に身を任せていれば、自分で考えなくていい。常に受け身であれば、右から左へ、前から後ろへ、上から下へと物事は通り過ぎてくれる。

 《これはなんて楽なのだ》自分は止まっているだけで良いのだから。

 《これはなんて楽なのだ》思考の余白を埋め尽くしていく。

 『雑音』が始終出入りを繰り返し、あたかも自分が何かを思考し行動しているような錯覚をくれる。

 《これは何だかとても良くない状態だぞ』雨音が警鐘の様に僕に告げている。

 自己防衛ボタンが危険信号を発しているのに、『雑音』の中で楽をする事は自分を誘惑し続け、なかなか抜け出せないでいる。

 自主映画の完成と僕の魂は三年間もの長い間戦いを続けていて、今月は特に映像編集がうまくいかず、不甲斐なさにやり込められて、投げ出すか続けるかの瀬戸際に佇み、自らの意思を手放し重力のまま谷底へ陥落してしまう自壊願望を夢想している。今夜も仕事から帰宅すると自室でパソコンを立ち上げ僕の始めた映画の前に座り込むが、昨夜と同じように何も作業は進まず、身を捩りパソコン机と対極にある壁を振り返るように雨が降る窓の外をぼーっと見ていた。

 しかし、小さな変化は突然やってきた。僕が自ら思考停止を望む為に過剰摂取していた日々の『雑音』よりも、窓の外の『雨音』の方が大きかったからだろうか、雑音が雨音に掻き消され僕の脳内は妙に静まり返っていた。脳の『余白』。僕は数ヶ月ぶりに長い思考をしていた。そこには自分の非力さを目の当たりにする恐怖もなければ、それから逃げない為に息を止めてじっと我慢する忍耐も必要なかった。なぜか十代のあの頃のように、自分の映画と物語について冷えた脳で考える事ができた。自分はなんて馬鹿者なのかと我に返った。無気力を生み出している原因は『雑音』であり、それを呼び寄せているのは自分の弱さだと気がついたのだ。

 僕を廃人にする『雑音』は、詐欺師のように如才無く僕の生活に入り込み、道徳的な日常生活をおくる為の平衡感覚を惑わせる為の甘美な悪事の囁きを繰り返し、脳内を洗脳し体内に寄生した。僕が僕である事の意味を知る為に書き始めた日記に住まう僕の魂を少しずつ蝕むようにして、魂は雑音に侵され、雑音が僕を廃人化させるために僕の思考と肉体を乗っ取り始めていたのだ。それに、今夜僕は気がついた。そういえば、僕は今、自分がどんな顔をしていたか思い出せなくなっている。なんという事だろう、僕は自分の顔が思い出せない。

 この恐ろしい『雑音』が僕の魂を殺す前に、僕の日記を守らなければならない。そのためには、僕が僕のために思考する『余白』を取り戻さなくてはならない。

  《雑音を遠ざけ、余白考える時間が必要なのだ》雨音が僕に警鐘を鳴らしている。


 これまで経験してきた記憶と感情と出逢いは僕のささやかな日記の中で言葉を当てがわれ、いつしか一つの物語になろうとしていた。そしてその物語は、カメラを通して色彩を手に入れ、役者という存在たちが登場人物の肉体と感情までも与えてくれた。こんなに素晴らしい事があるだろうか。こんなにありがたい事があるだろうか。だから、たとえどんな結果になったとしても、何度、自分の無力さに耐えきれなくなっても、『雑音』に打ち勝って僕は僕の映画を完成させなければならない。さもなければ、今日に至るまでの自分の人生に起きた何千ページにも渡るヴィジョンの全ては白紙になってしまうだろう。しかも、それは真っ白ではなく、消しゴムで消したように汚い消し痕を残しながら僕を痛めつけるだろう。

 自分のふがいなさを痛感したとしても、何もなかった事にしてはならないのだ。来る日も来る日も思考という旅に出て、ヴィジョンを得ようと日記の中を旅していた頃の僕の魂を、もう一度取り戻して映画の中で再生させなければならない。

 先の事はわからない。けれど「今夜の思考を残さないと」と僕は思った。

 だから、雨がふる夜にてこれを記す。ここから、全てを、もう一度はじめよう。

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